小山英樹のみらい教育LABO 記事アーカイブ

小山 英樹

「近況報告」が・・・

Aさん「うちの県では○日に外出自粛が解かれて、○日から分散登校が始まりました。で、うちの塾では連休明けからリモート授業をしていたのですが、先週から通塾を再開しました。三密を避けるために、机の間を1.5m空けて、マスクをああして、消毒をこうして・・・」
Bさん「ここは特定警戒都道府県に入っていたので、外出自粛はもう少し長引いて、○日にやっと学校が始まりました。うちの子は5年生と中1なんですが、中1の子は入学式が6月に入ってから行われて、ようやく通学にも慣れてきた感じです。でもまだ分散登校なんでどうのこうので、ああでこうで・・・」
Cさん「うちの県では感染者が10人未満で、警戒感はさほどでもなかったんですが、学校はかなり慎重で、○日にようやくスタートはしましたが、偶数クラスが登校する日と、奇数クラスが登校する日に分けて、授業もできるだけ生徒がしゃべらないようにどうして、ああして、こうして・・・」
この類の「近況報告」が延々と続くことがありますね。Zoom等でのミーティングや研修会、飲み会で。
「へ~!そうなんだ!」などという情報はほとんど無くて、おおむね「ああだった、こうだった、ああした、こうした」という過去の話が中心。そして「まだこの先不安です」とか「油断できませんね」となって、最後は「頑張ります」。
しゃべるほうも、聴くほうも、そんなに価値がある時間だとは思えないのですがいかがでしょう。
しかも、持ち時間が決まっていてもそれをオーバーしがち。(後の人ほど長く話す)
これがもしコーチングセッションなら、クライアントへの興味も沸き、全身全霊で傾聴します。が、そうでない機会だと私は聴く耳を閉じます。「ビデオ」と「マイク」をそっとOFFにしてタバコを吸いに行ったり、手元で仕事をしたりする。これがオンラインのいいところv(^^)v
先日このサロンで、「起こるすべてに意味がある」という信念について書いたにもかかわらず、「近況報告には意味が無い!」などと書いている私。おかしいでしょ? 
もし、しっかり聴けば、
・自分の仕事や生活、成長に活かせるニュースを得られる可能性がある
・聴いているうちに、気付きや新しい発想が生まれる可能性がある
・話し手や、そのZoomのメンバーと円滑な関係を維持する可能性がある
等々の意味があることは知っているのです。知っていて、自己責任でレセプター(視覚・聴覚)を閉じることを選択しているのです。
そんな自分を許します。
そして、私がファシリテーションしたり、スピーチしたりする際には、①何らかの価値を提供するという意図を持って、②端的に、聴き手に届くよう配慮したい、そう念じています。