小山英樹のみらい教育LABO 記事アーカイブ

小山 英樹

「知る」と「分かる」①

「知る」と「分かる」、この2つの言葉をあなたはどのように区別して使っていますか?
目玉焼きの作り方は、「知ってる」の? それとも「分かってる」の?
スワヒリ語で「好き」を何というか、「知らない」の? それとも「分からない」の?
成績の伸びない生徒の親の気持ちは、「知ってる」の? それとも「分かっている」の?
あなたの5代前のご先祖の夢を、「知らない」の? それとも「分からない」の?
ほとんど区別なく使っていますよね。
「Android OSの使い方、知ってる?」-「え?分かんない」みたいな会話も成立してしまうほど無意識ですね。
「知る」とは本来「認識する」です。外にある情報を五官を通して自分の中に取り込むことですね。そこから意味が拡大して「感じる」「経験する」「学ぶ」「把握する」「理解する」等を指すようになりました。
一方「分かる」とは本来「1つのものが別々になる」ことです。ものごとを分割したり、仲間分けしたりすること。そこから「はっきりする、判明する」「理解する」等の意味を持つようになりました。
お気付きのように「理解する」という意味において両方は重なりますので、区別なく使うことが多くなっているわけですが、もともとは、「ただ認識する」ことと「分ける」ことという、別の行為を表す言葉だったわけです。
「タマが鳴いている」・・・こう認識することが「知る」。
「お腹がすいているんだな」・・・いろんな鳴き方のパターンのどれかに当てはめる、これが「分かる」です。
人が生きていく上で、「知る」も「分かる」も、どちらも大切なのでしょうが、教育においては、教育する側・うける側双方が無意識に「分かる」を優先してしまいがち。そこに少なからぬリスクがあると私は考えています。