小山英樹のみらい教育LABO 記事アーカイブ
小山 英樹教育コミュニケーション
良い悪い①
今から40年も前になります。中学校の社会科の授業で「中庸」という言葉を習いました。
孔子が最高の「徳」として説いた概念で、かたよることのない「中」をもって道をなすという意味です。
当時、思春期真っ盛りでかなり尖がっていたのでしょう。私は「なんてくだらない思想だ」と感じたのを覚えています。「白か黒かはっきりせんのはあかん!中途半端はあかん!」と。
好きな友達、好きな教科、好きな先生、好きな音楽、好きな作家。良いこと、やりたいこと、正しいこと。
嫌いな友達、嫌いな教科、嫌いな先生、嫌いな音楽、嫌いな作家。悪いこと、やりたくないこと、間違っていること。
そうやって、白か黒かをはっきり区別したいし、そうすることが良いことだと思っていました。
「まぁまぁ」とか「そこそこ」とか「適当に」とか「バランス」とかいうものはすべて「妥協」であり悪だと思っていました。
大学生になり、就職してからも、おかしいと感じることに対して反論したり、拒絶したりしていましたので、思春期のせいばかりでなく、そういう気質が強かったのだと思います。実は、中途半端な自分に気付いていて、それに対する反動が表れていたんだとも今は思っています。
で、「良い悪いを手放して」とか、「清濁併せ呑む」とか「同意形成」とか「両立」とか「Win-Win」とか「andの才覚」とかいった感覚の必要性や価値、そしてそれらと「妥協」との違いがつかめ始めたのは、おそらく30歳後半になってから。
その変化の象徴が「太極図」です。
まったく何とも思っていなかったこの図が、ある日突然ものすごく尊いものに見えてきたのです。
紀元前数千年前からの中国思想に端を発し、陰陽思想や道教や儒教のもとになった考え方であり、あまりにも深すぎ、複雑すぎて詳しく勉強するには至っていません。
ただ、万物の根源を示した図であり、森羅万象の構造を教えてくれる図、そんなふうに捉えています。
この世には「陽」だけの存在も無いし、「陰」だけの存在も無い。
どちらか一方だけでは物事も世界も宇宙も存在しない。
「陽」の中にも「陰」があり、「陰」の中にも「陽」がある。
「陽」と「陰」が調和して初めて自然の秩序が保たれる。
もともとこの世は混沌(カオス)。それが「陽」と「陰」とに陰と陽とに分かれているだけという考え方。ですから、もともとこの世には「善」と「悪」が存在するという二元論とは根本的に異なるわけです。
この違いが、私には衝撃でした。
月曜日に続く。